2017年




ーーー9/5−−− 楽器をやっていればボケない


 
昨年の12月に、教会のクリスマス会でケーナの演奏をした。先月、別荘地の音楽会にグループで出演をし、やはりケーナを演奏した。数ヶ月の間に二回、初めての聴衆の前で演奏をしたわけだが、これは実に久しぶりのことであった。この二回に共通して実感したことがある。それは力の衰えであった。

 久しぶりに人前で演奏をするとなると、それなりの練習が必要だ。しばらく遠ざかっていると、音が出にくくなる。それを回復するための練習メニューがある。それをやれば、以前の状態に戻る、というのが、過去の経験に基づく確信だった。しかしこの二回で、それはもはや楽観的に当てはまらないことを知らされた。

 笛で音を出すという行為は、様々な筋肉の動きによる。それらの筋肉が衰えると、安定した綺麗な音は出ない。練習によって筋肉を回復しなければならないのだが、この年齢になると、衰えは早いが回復は遅いのである。

 さらに問題なのは、音感の衰えである。イメージした音を出そうとして、違う音を出してしまう。単に指を間違えるということではない。音の捉え方が狂うのである。ソの音を出そうとしてシを出してしまったりする。いわば確信をもって音を出すのだが、出た音を聞いて間違っていることに気が付くという感じ。そういうことがしばしば生じる。若い頃は、そのようなことは無かった。歌うように、あるいは口笛を吹くように、意図した高さの音を出せたのである。それが思うようにならなくなった。暗譜で吹く場合には、とても不安になる。突然変な音を出してしまう恐怖に取りつかれる。

 音感が鈍くなったという事は、笛の演奏を離れても、十年以上前からうすうす気が付いていた。CDなどで聞く音楽が、覚えられなくなったのである。若い頃は、数回聞けば覚えられたような曲が、何度繰り返し聞いても覚えられなくなった。また、ラジオから流れる曲を聞いて、聞き覚えがあるけれど何の曲だったか?と分からなくなることが多くなった。ものを記憶するというのは、脳のメカニズムによるのだろうが、歳を取るといろいろなものが覚え難く、また忘れ易くなるのと同様に、音楽的なものも覚え難くまた忘れ易くなるのである。

 加齢とともに、様々な身体能力が衰えていく。楽器の演奏に関しても、ハードとソフトの両面から、衰えが進行するのである。

 ところで、演奏グループのリーダーは、口癖のようにこう言う、「楽器をやっていればボケ防止になる」。

 世間一般で知られているところを見ても、楽器の演奏はボケ防止の上位に位置づけられているようだ。指と頭を同時に使うからというのがその理由らしい。それに関して私は最近思う。音楽に関する感覚は衰えやすいから、逆にそれを鍛え、維持しようとすることは頭や体の活性化につながるのではないかと。どんどん落ちる能力を、悲しいながらも実感し、なんとかそれに歯止めをかけようとすることが、ボケ防止になるのではないか。その背景として、失うことの寂しさが大きいということ、つまり音楽の楽しさや喜びを知り、それを大切に感じていることが動機になるだろう。

 生存に必要な機能は衰えにくい。反対に、必要性が低いもの、言い換えれば後天的に獲得されたものは、衰えやすい。本能として備わっているものより、人間の特質として身に付けたものの方が、失われ易いのである。その失われやすさに抗うことが、人間らしさを維持すること、つまり頭がボケることの防止に繋がるのではないかと思う。




ーーー9/12−−− 安価な老眼鏡


 
父方の祖母は、東京の京橋に住んでいた。その祖母が日常的に使っていた老眼鏡は、祭りの夜店で買ったものだと聞かされていた。たまたま買ったものだが、具合が良いので何年も使い続けていたとのこと。

 その話を聞いたとき、私は中学生くらいだったと思うが、そんな事で良いのかと思った。眼鏡は大切なものだから、ちゃんと眼鏡屋で買うべきではないかと。

 年月が経ち、そのような心配はどこかへ消え去った。自分がここ数年矢継ぎ早に購入している老眼鏡は、すべてホームセンターで買った、数百円程度のものである。

 そんな話を家内に聞かせた。じっと水槽の中のメダカを覗き込んでいた家内は、顔を上げて向き直り、かけていた眼鏡を手に取って私に見せ、「これなんか100円ショップよ」と言った。

 



ーーー9/19−−− 鹿島槍ヶ岳日帰り登山


 この6月に、蝶ヶ岳から常念岳を回る三角コースを日帰りでやった。それに気を良くして、次なるチャレンジとして設定したのは、鹿島槍ヶ岳の日帰り登山。夏の早い時期に実施するつもりだったが、この夏は天候が不順でチャンスに恵まれなかった。ようやく9月も半ばになって、安定した晴天の予報を得、決行することになった。 

 鹿島槍ヶ岳を登るには、通常最短でも一泊二日を要する。最近の登山関係の投稿サイトを見ると、この山の日帰り記録が散見されるが、その中にはトレールランナーと呼ばれる人たちによる、特殊な世界と感じるものが多い。テレビ番組の影響もあるのか、タイムを競うような山登りが、一部で流行しているようである。私はそのような先進的スタイルではなく、あくまでオーソドックスな、登山本来の装備と足ごしらえで登ることを前提にしている。その上で、この山を日帰りで登るという設定は、私にとってひとつのチャレンジであった。

 ルートは、鹿島槍ヶ岳への最短コースとなる赤岩尾根。急登と険しさで名が知られた尾根で、できれば足を踏み入れたくないような場所であるが、私の体力で日帰りを狙うなら、このルートしか考えられない。私にとって初めてのルート。北アルプスで、一度も歩いたことが無い登山道を辿るのは、実に久しぶりのことでもある。

 4時に家を出た。まだ真っ暗である。夜道を軽トラで走り、5時に大谷原の駐車場に到着。車の中で朝食を取るうちに夜が明けてきた。

 一時間ほど林道を歩いて、西俣出合に到着。砂防堰堤の中に設けられたトンネルで川を渡ると、そこが赤岩尾根の末端。いきなり急勾配の登りとなった。所々に梯子や金属製の階段が掛けられている。よくもこんな所に登山道を作ったものだと思う。

 8時、高千穂平に到着。ここは小さな平坦地であり、急な登りも一段落と言ったところ。目の前に鹿島槍ヶ岳の山頂が望めるはずだが、あいにくガスがかかって見えなかった。進行方向に目をやると、赤岩尾根の登山道が主稜線の登山道に出会う分岐点(冷乗越)に立つ標識が、高い所に小さく見えた。

 1時間ほどで冷乗越に着いた。赤岩尾根の最後は、急斜面のトラバースで、雨でも降っていればちょっといやらしい感じ。主稜線に出ると、眼前に剣岳がバーンと見えた。




 乗越から一路鹿島槍ヶ岳の山頂を目指して北上する。いったん最低鞍部まで下り、そこから少し登ると冷池山荘がある。その登りで、左足の腿に違和感が生じた。「来るかな?」と思った直後、足がつった。激しい痛みに、しばし立ちつくす。

 足がつるのは、かなりのダメージだが、ゆっくりなら歩き続けられるというのは、二年前の常念岳で実証済み。トボトボと、なるべく左足に負担が掛からないように歩き始めた。そうしたら、今度は右足がつった。そこでさらにペースを落とした。超スローペースなら、両足がつっても騙しだまし歩き続けられるものだ。むしろ座ったまま回復を待つより、負荷を下げて動かし続けた方が良いかも知れない。

 登山道の脇に、イワヒバリが舞い降りた。近付いても逃げないので、カメラを取り出してパチリ。鳥は足がつる心配は無いのだろうなあ。




 こんなにゆっくり歩いているのに、先行パーティーに追いついた。女性4人に男性一人の熟年パーティー。お先にどうぞと、道をゆずられた。気が進まなかったけれど、先に行かせてもらうことにした。前に出ると、無意識に少しペースが上がる。そうしたらまた足がつった。まさにぎりぎりの歩行である。

 


 11:40山頂着。ゆっくり歩いたおかげで、疲労感は全く無い。とても爽やかな気分だった。頭上は快晴だが、山々の頂の高さには雲が去来していた。360度の展望は得られなかったが、雲の切れ間に懐かしい山頂の数々が現れて、見飽きなかった。
 
 次々と登山者が到着して、山頂は賑やかになった。平日にこれだけ人が登るのだから、やはりこの山は人気があるのだろう。山頂に居合わせたある登山者は、「槍穂高連峰などよりも、この山域のほうが景色が優れているな」と言った。




 鹿島槍ヶ岳は双耳峰である。到着した南峰の先に北峰が見えたが、この足の状態ではとても無理である。今回を含めて、この山には三回登ったが、北峰まで行ったのは一回だけで、あとの二回は南峰で引き返すということになった。今回も行けなかったのは、ちょっと心残りだったが、仕方がないと諦めた。

 下山は、足のつりの心配も無く、良いペースで歩いた。冷池山荘のテント場には、一張りのテントがポツンと残っていた。このテント場は、剣岳、立山方面の展望が抜群で、素敵なロケーションである。過去にこの場に泊まったことを思い出して、懐かしかった(その記事「夫婦でテント山行」は→こちら




16:25に、駐車場に帰り着いた。事前には、最後の林道歩きくらいはヘッドランプもやむ無しと想定したが、十分明るいうちに戻ることができた。駐車場から山頂方面を振り返り、長丁場だった一日の感慨にふけろうと思ったが、雲に遮られて高いところは見えなかった。

 ところで、たまにしか山に登らなくなった私だが、登るたびに新しい傾向に気が付き、ちょっと驚いたりする。今回のトピックスを二つ。

 まず、ヘルメットを着用している登山者が多かった。これまでの経験では、一般登山道でヘルメットを被っている人など見た事が無かったので、何事かと思った。今回の山は、その先の五竜岳までのルートが険しい岩場なので、そこへ向かうパーティー、またそちらから来たパーティーの人たちが、ヘルメットを着用しているのだと分かった。もちろん安全のために、ヘルメットを使った方が良いシーンもあるだろう。しかし岩場など、必要な場所ならいざ知らず、穏やかな稜線の縦走路であっても、ヘルメットを被って歩いている登山者の姿には、いささかTPOを欠いた違和感を覚えたのであった。

 第二は、たまたま山頂で交わされた会話を耳にしたのだが、女性が単独でテント泊で登っていた。女性が単独で深い山の中を歩いている例は、過去に何度か目撃したことがあるけれど、荷の様子からして、小屋泊に間違いなかった。それがついに、テント泊である。ずいぶん度胸があるものだと、正直言って驚いた。




ーーー9/26−−− mixi の楽しみ


 
ソーシャル・ネットワーキング・サービスの一つである「mixi」をやりはじめて、どれくらいの年月が経っただろうか。人に勧められて始めた頃は、とても人気があったようで、回りの多くの人が熱心にやっていた。私も片っ端からマイミク(ともだち)登録をし、その数は数十件にもなった。

 数年経つかたたないうちに、mixiの人気には陰りが見えてきたようである。やりとりの数がぐっと減った。そのことを家族に話したら、学生だった娘が「最初はおもしろがってやったけど、そのうち煩わしくなって、止めちゃった」と言った。その傾向は、一般的なものと感じられた。

 そのmixiを、私はいまだにやっている。やりとりを交わす相手がいるからであるが、その数は三人。毎日日記を交換しているのが二人、自らは日記を発信しないが、私の日記にコメントをくれるのが一人。この体制で、もう何年も続いている。ちなみに、日記を交換しているお二人は、これまで二三回しか会った事の無い知人である。

 毎日のことだから、取り立てて目新しい話題は無い。その日に出会った植物や、昆虫や、空の雲や、風景などの画像をアップし、関連した出来事を書く程度の日記である。そういう日記に対して、ほんの数行、ときには一行だけのコメントを送る。それをお互いに、毎日繰り返す。

 傍目には、何が面白くてこんな平凡な、変化に乏しいやりとりを重ねているのか? と感じるかもしれない。しかし、これがなかなか楽しいのである。目まぐるしいスピードで変化する現代にあって、四季の移り変わりや、家族や知り合いの年中行事だけが話題となるようなやりとりは、一見退屈そうでも、安定的かつ継続的な、癒しと共感に繋がるのである。

 コメントを送る側も、回数を重ねるにつれて、押えどころが分かってくる。毎度同じような日記でも、どこかに突っ込みどころはあるものだ。そこを捉えて、数少ない言葉で、軽妙なジョークなども交えて、コメントを送る。それが上手く運んだ時は、一人で思わずニンマリする。

 また受け取る側としても、たった一行のコメントでも、とても嬉しく、心に響くことがある。全く予想外の角度から発せられたコメントを見て、ハッとさせられるような気付きがあり、思いを深くする事もある。

 すっかり下火になった感があるmixiだが、しぶとくそれを利用して楽しんでいる。まるで我々3人(プラス1)のためにこのソーシャル・ネットワーキング・サービスがあるようにすら感じられて、有り難く思ったりする。

 




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